2019年7月22日月曜日

ここ数年、山に行きたいなー、という思いがつのってきて、いよいよ行くことにした。

久しぶりすぎて、自分の体力が全く読めない。
無理が効く気がしないから、最低限だけどしっかりした道具に頼ることにした。

小さなリュックは持っていたし、服も普段のもので流用できそう。
数年前に思い立った時にハイキング用の靴も買ってある。
今回買い足したのはカッパ(上着だけ)とスパッツ、それと靴下。

初めて山道具をそろえた時を思い出す。
静かに、小さく、わくわくする。


自分の生活のことや仕事のことを考えていたり、選挙があったり、痛ましいニュースや騒がしいニュースがいくつもあったりして、なんだかたくさんいろいろ考えている。

「いろいろな考え」があることは常にそうだと思うけれど、今はさらに考え方の変化の時代のさなかにある分、より一層多重的な「いろいろな考え」を感じる。

こういう変化の渦の中で、「自分の考え」をどうまとめ、どう表現すべきか、ということについてとても難しく感じている。

ただ、ひとつだけ。自分の中できちんと腹落ちする考え方であるかどうか、ということについてはしっかり見つめておきたいと思う。


山は、自分が生きていることの自信とはかなさ、そして他の人がいることのありがたさをクリアにしてくれるから、好きだ。

「腹落ち」の「腹」を、ゼロ合わせできるような気がするんだ。山に行くと。