2019年7月27日土曜日

夕暮れ


日が暮れるのが早くなってきた。

ようやく梅雨明けでこれから暑い季節になってゆくのだろうけれど、日の長さは既にどんどん短くなってきている。最近は気温の変動がむちゃくちゃになってきているので特に、季節の移り変わりを「日の長さ」で意識することが増えた気がする。

カレンダーを眺めたら来週がもう8月で夏の終わりが始まりそうなのに、夏はどこへ行った。来週あたりからギラギラの夏が大急ぎで加速して来るのかなぁ。

じっとりと重い雨の土曜日。




2019年7月22日月曜日

ここ数年、山に行きたいなー、という思いがつのってきて、いよいよ行くことにした。

久しぶりすぎて、自分の体力が全く読めない。
無理が効く気がしないから、最低限だけどしっかりした道具に頼ることにした。

小さなリュックは持っていたし、服も普段のもので流用できそう。
数年前に思い立った時にハイキング用の靴も買ってある。
今回買い足したのはカッパ(上着だけ)とスパッツ、それと靴下。

初めて山道具をそろえた時を思い出す。
静かに、小さく、わくわくする。


自分の生活のことや仕事のことを考えていたり、選挙があったり、痛ましいニュースや騒がしいニュースがいくつもあったりして、なんだかたくさんいろいろ考えている。

「いろいろな考え」があることは常にそうだと思うけれど、今はさらに考え方の変化の時代のさなかにある分、より一層多重的な「いろいろな考え」を感じる。

こういう変化の渦の中で、「自分の考え」をどうまとめ、どう表現すべきか、ということについてとても難しく感じている。

ただ、ひとつだけ。自分の中できちんと腹落ちする考え方であるかどうか、ということについてはしっかり見つめておきたいと思う。


山は、自分が生きていることの自信とはかなさ、そして他の人がいることのありがたさをクリアにしてくれるから、好きだ。

「腹落ち」の「腹」を、ゼロ合わせできるような気がするんだ。山に行くと。

2019年7月7日日曜日

好きと嫌いがぶつかるならば?

私は両生類や爬虫類が好きだ。
出会うと、嬉しくなる。

先日、1mほどの立派な青大将に出会って嬉しくなって写真を撮り、意気揚々とSNSに投稿しようとしてハッと止まってしまった。ヘビのにょろにょろした写真は嫌がられるかもしれない、と思ってしまったのだ。

ちょっと萎えた気分で、でも嬉しかった私の気持ちも正当に大切なはず、という葛藤の末、にょろにょろしたボディの写真は採用せず、顔だけのクローズアップの写真を選んで投稿したのだった。

インターネット上で様々な人の考えや感じ方にふれる機会が増えて、本当にいろんな人がいるんだなあ、ということをリアルに感じられるようになってきた。それは多様性を実感できるようになってきたということなのだから、自分も多様のうちの一つでより自由に表現できるようになりそうなものなのに、思えば以前より自由にものを書けなくなっている。

あれ? なんか思ってたのと違うなぁ、と思う。

好きなものを素直に好きということによって、どうやら傷ついたり不快に感じたりする人がいるようだ。そのことに気がついた人は、先回りして“不快なことを書きますよ”と前置きしてから記載する。気が利く人は、前置き、但し書き、お断りなどなど、いろんな武装付きでものを言う。

たくさんの断り書きに囲まれて、一番言いたかったことの輝きがかすんでゆく。


「表現する」ということについて、もう一度考えている。


2019年7月1日月曜日

ミソサザイ

ミソサザイが、好きだ。

渓流の水音に負けない力いっぱいの澄んだ声を、ほんとにどうやって出してんだろ?と思うくらいのちっちゃなちっちゃな身体からめいっぱいな感じで出してる感じが、好きだ。

生きもののことだから、人の感じ方なんて全然外れてて別に彼らにとってはごく普通に出してるのかもしれないけれど。


力いっぱいめいっぱい、って、余裕がなくて必死すぎて、ダサいし迷惑だったりもするよな、とは思うのだけれど、いかんせん自分が必死すぎるのでそういう様子を見るとつい共感してしまう。

昔から猪突猛進で我ながらもうちょっとこう落ち着いてできないのかね?と思うけれど、これはきっと直らないんだろうなあ。

ま、いっか。