また敬愛していた方が一人亡くなった。
子どもの頃に祖母が「みんな死んでいっちゃう」とつぶやいていたのを、遠く不思議な気持ちで眺めていたけれど、そんな気持ちが、少しわかるような気がしてきた。
亡くなっていった「敬愛していた方」は、ほとんどが著名人で私が一方的に「敬愛していた」だけで、その方は私の存在すら知らない。知り合いの方についても、10年単位で交流のない方で、私の日常の生活にも、その方の日常の生活にも、なんの接点もない方ばかりだ。
だから、亡くなろうが生きていようが、「日々の暮らしに直接的な影響は何もない」。
「亡くなった」という情報が入らなければ、生きておられた日々と亡くなってからの日々とは、私の日常にとって何の違いもないのだ。
そのことを、ひどく不思議な気持ちで抱えている。